日時:7月10日(水)1730-2030 
場所:三田いきいきプラザ2階「集会室」 東京都港区芝4-1-17(03-3452-9421)
プラザ内2階集会室(A・B・C)使用は抽選のため案内看板(林)をご確認下さい。

① JR田町駅下車、三田口プロムナードデッキを森永ビルに沿って浜松町方向右へ、第1京浜道路ファミマ前三叉路渡り日比谷通りを右側歩道直進50m先右折、公衆トイレ前通過直ぐ2階建て建物(徒歩7分)
② 地下鉄三田A-9から出て左30秒

テーマ:「「ヒトラーの悪魔的天才』、カール・ハウスホーファー」

ハウスホーファーは、1900年、在日独大使館武官付き補佐官として滞在、アジア・太平洋を地政学的要衝として認識、世界を五つに分けた「パン・リージョン理論」を構築、その頂点にヒトラーが君臨するイメージを作り上げました。
ハウスホーファーは、日本における地政学的論考により学位を取得、ミュンヘン大学において地政学の教授に就任します。後にヒトラーの片腕となるR・ヘスは、ミュンヘン大学において修士課程就学時、ハウスホーファーをヒトラーに引き合わせます。

ヒトラーの『我が闘争』は、ミュンヘン一揆失敗後のランツベルグ刑務所収監中にヘスらが聞き取り、書き起こしされたものです。この時期、ヒトラーは武装革命ではなく、「選挙に打って出て、政権を掌握する」ハイブリッド戦術への転換を決心しました。
ヒトラーをたきつけた(ヒトラー自身はハウスホーファーの影響を否定)ハウスホーファーは、D・ノートン(ヒトラーの外交政策顧問)から「ヒトラーの悪魔的天才と呼ばれます(大東文化大教授C・シュパング)。
日本の大東亜戦争は、ハウスホーファーの「パン・アジア(汎アジア)論」に影響されていると考えられます。
「日本の地政学」の生い立ちもハウスホーファーからの影響です。ここでは、ヒトラーとの関係においてヨーロッパの世界大戦を観察します。

東京都港区芝5-18-2