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 五百旗頭先生をはじめパネラーの先生方の人選にも一工夫が見られ、結構準備が大変だったのではないかと拝察いたしました。
最近は別用があり欠席続きで久しぶりの出席になりましたが、比較的人数も多く盛会であったように思います。
特に、「おばちゃん」層にも浸透しているようで、これも??法案への理事長のご健闘ぶりが反映しているのでしょうか?
冗談はさて置き、昨日の先生方のお話を伺い、戦後70年のメッセージを発しようとする日本の立ち位置は、勝者の価値観、世界観の中で、それを全面的に受容した敗者の立場からスタートせざるを得ないのではないかという思いを、改めて強く感じました。
少なくとも、ポツダム宣言の受諾に始まり、独立を果たすこととなったサンフランシスコ条約締結に至るまでに日本が受け入れた(受け入れざるを得なかった)すべての事について何らの変更が無いということの前提に立たなければ、未来に対して如何なる約束をしても、またスタンスを変更するのではないかという疑念を与えることになるのではないかと懸念しています。
昨日の議論は、集団的自衛権を巡る法案が衆議院可決というタイミングと重なったため、コーディネーターからも、この法案との関係での意見を含めフロアーに振るということもありましたが、この法案が戦後70年の日本という国のあり方にどのような影響を及ぼすのかといった点について議論が無いと、戦後70年のメッセージを考えるというテーマとリンクさせることが適切なのかどうかという感想を持ったところです。(勿論、リンクしないと言っているわけでは、まったくありません。)
集団的自衛権を巡るいわゆる「安保法制」については、政策的な観点と法制的な観点からの相反する評価があるところですが、昨日の議論を伺っていて改めて思ったことは、そうした観点とは別に、(語彙が乏しくて的確に表現できないのですが)政治家の資質、品性にかかわる問題ではないかということです。特に、権力を持っている政治家は謙虚であらなければならないと思うのです。
私自身は、政策的な観点で今議論されているレベルの集団的自衛権の問題であれば容認できるという立場ですし、憲法との関係においても、自衛隊の存在を容認している状況で直ちに違憲と言えないと思いますし、むしろ最高裁が合憲と判断する確率は相当高いと思っています。
しかしながら、「今やらなければ・・」という思いも分からなくはないのですが、憲法改正から手を付けていくという真っ当な進め方があるにもかかわらず、十分な議論の無いまま強引と思える形で前に進めていくことについては、(卑しさは無いと思いますが)権力者の横暴な感じがし、その正当性を疑わせるということにもつながっている面があると思います。とは言え、反対の為の反対のように見える野党の対応を見ていると、やむを得ないのかなあという気持ちも気持にもなるのですが・・。
なかなか難しい問題であるという思いを、さらに強くしたところです。
終わりになりましたが、海江田先生のご挨拶がいつになく心に残りましたので、申し添えます。
勝手なことを書き連ねました。お許しをいただきたいと思います。
IGIJ目付Knock-Out

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