北朝鮮の核・ミサイルに対する日本の戦略を考える  IGIJ理事長 栁澤 協二 (注:『産経iRONNA』 から転載)

北朝鮮の挑発が止まらない。アメリカのトランプ政権が、シリアの空軍基地を爆撃、空母部隊の北朝鮮近海への派遣、アフガニスタンでのタリバン拠点に対する新型爆弾の使用など、一転して軍事力を前面に押し出す姿勢を示している一方、北朝鮮はさらに核実験やアメリカに届くICBMの開発の意図をもって答えている。
それがトランプ政権にとってレッド・ラインを超えると判断されれば、シリアで行ったようにアメリカによる懲罰的な武力行使が予想され、北朝鮮がこれに反撃する形で戦争が始まるかもしれないという恐怖が広がっている。
発射されたミサイルを迎撃するミサイル防衛に100%の成果を期待できないのだから、ミサイルの発射基地を攻撃しなければならないという声もある。「敵基地攻撃」能力を持つべきであるとの提言が、3月30日に自民党の安全保障調査会・国防部会で発表されるなど、従来の専守防衛では、高まる北朝鮮の核・ミサイルの脅威には対抗できないのではないかという問題意識だ。
しかし、そのこと自体、何を問題にしているのかよくわからない。生半可な理解のまま国防を語るのは危険だ。勇ましいようでも、あらぬところに弾を打ちまくるならば、それは恐怖の裏返しにすぎない。

(1) 専守防衛と敵基地攻撃

「専守防衛では、ミサイルが飛んでくるまで何もできないのだから、発射前に破壊できるようにしなければならない」という発想について考えてみる。

専守防衛とは、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。」とされている。
これは、他国領域への先制攻撃を否定するものではあるが、「自衛のための必要最小限度」の範囲内であれば、敵基地への攻撃を否定するものではない。また、国土に被害が出るまで何もできないわけでもない。自衛権を行使するのは、攻撃が完了した段階ではなく、敵が武力攻撃に着手した段階だから、日本を攻撃することが明白な敵兵力が行動を開始すれば、それがいまだ敵国の領域にとどまっていたとしても、反撃することができる。

弾道ミサイルの場合、日本を目標にしたミサイルが発射準備に入れば、その時点でこれを攻撃しても、専守防衛からの逸脱とは言えない。問題は、専守防衛にあるのではなく、敵のミサイルが発射態勢にあることをどのように察知し、それが日本を狙っていることを誰がどのように判断できるのか、そして、そのミサイルを首尾よくつぶせば、それでことが終わるのか、ということだ。
そもそも、地下に格納され、あるいは移動発射台に搭載されたすべてのミサイルの位置を把握し、同時に破壊することは不可能だ。そして、残存したミサイルによる報復攻撃が来る。それが核であったら、今度は日本が壊滅する。
テレビの映像で、3月7日に北朝鮮が4発のミサイルを同時に発射するシーンが放映された。「そこをつぶせばいい」という気分になる。しかし、「そこ」が「どこ」なのか、誰が知っているのか?当日の衛星画像を解析すれば、どこであったのかが判明するかもしれない。しかし、それこそ「後の祭り」である。相手は動くのだから。
発射態勢にあるミサイルを破壊しようとすれば、北朝鮮上空を無人偵察機で覆うか、あるいは、あらかじめ特殊部隊を潜入さるなどして、爆撃目標を視認して、攻撃部隊に指示しなければならない。問われるのは、攻撃手段ではなく目標探知能力なのだ。
つまり、敵基地攻撃を行うとしても、ミサイルを100%防ぐことはできないということだ。それゆえミサイルは、劣勢にある側が優勢にある敵に対抗する拠り所となる。北朝鮮がミサイルに固執する理由もそこにある。

(2)報復の抑止力

そこで、ミサイルは防げないことを前提にした対応が必要となる。それが、「報復力」に
ほかならない。

今年2月14日の衆議院予算委員会で、安倍晋三首相は「北朝鮮のミサイル発射の際、
共同で守るのは米国だけだ。撃ち漏らした際に報復するのも米国だけだ。トランプ大統領が必ず報復するとの認識を(北朝鮮に)持ってもらわないと冒険主義に走る危険性が出てくる。日本としては、トランプ大統領と親密な関係を作り世界に示す選択肢しかない。」と答弁している。
ここで言われていることは、ミサイル攻撃をすれば報復するという典型的な「報復による抑止」の思想である。防げない攻撃を思いとどまらせるには、倍返しの脅しによって攻撃を思いとどまらせるというものだ。そして、その報復力を担うのはアメリカである、と言っている。政府は、自身の敵基地攻撃よりもアメリカの攻撃力に拠ろうとしている。

脅威とは、攻撃する能力と意志の掛け算で定義される。同様に抑止力も、攻撃されれば報復する能力と意志の掛け算である。アメリカに、北朝鮮を壊滅させる能力があることは、だれも疑っていない。北朝鮮も、それを知っているがゆえに、アメリカを「抑止」しようとして核・ミサイルを開発している。これは、基本的に、アメリカと北朝鮮の間のパワー・ゲームである。
安倍首相の答弁も、アメリカの能力がないからではなく、アメリカの報復の意志が揺らいでは抑止力にならないという認識に立っている。ちなみに、トランプが「アメリカは常に100%日本とともにある」というとき、英語では「stand behind Japan」なので、アメリカは「背後から」日本を守る、つまり、報復するというわけで、安倍首相の答弁と表裏一体をなしている。

(3)抑止力の限界

しかし、アメリカの報復に頼ることにも問題はある。

第一に、アメリカが、常に100%日本の味方であることは、日本への攻撃に対して常に100%報復することと同じではないということだ。アメリカは、日本だけでなく、韓国も、そして何より、自国の兵力を守らなければならない。日本に数発のミサイルが着弾したとしても、アメリカの報復が北朝鮮の韓国に対する大規模報復を招くのであれば、韓国の利益も考慮せざるを得ないだろう。少なくともアメリカの報復作戦は、韓国軍による38度線付近にある北朝鮮軍の砲兵陣地への攻撃と連動しなければ、たちまちソウルが火の海になる。

第二に、アメリカの報復によって北朝鮮の体制を崩壊させるかどうかという悩ましい問題がある。アメリカが報復する場合、その規模は限定的なものではなく、再発射可能なすべてのミサイルを破壊するものでなければならないが、それは、北朝鮮の攻撃能力を失わせることになり、ひいては体制の崩壊につながる可能性が大きい。
体制が崩壊すれば、北朝鮮はたちまち破たん国家となる。2000万の人口をどうって食わせるかという難問が待ち構えている。ミサイルを破壊しても、100万人の軍隊と100万人の労働党の武装組織が残っている。韓国がこれを喜ぶはずはないし、この地域を統治するには、半分を中国に任せなければならないほどの大量の軍隊が必要になる。
アメリカが本気を出せば、北朝鮮との戦争に勝つことは難しくないだろう。だが、勝った後の方がよほど大変なのだ。それでもあえてアメリカが報復するのかというのは、当然の疑問だ。

第三に、アメリカが報復する前提である「撃ち漏らしたとき」とは、日本にミサイルが落ちているということだ。それが何発なのか、核や化学兵器が積まれているのか、どのくらいの被害が出ているのか、述べられていない。つまり、抑止が成り立つ前提には、少なくとも敵の第一撃に耐える覚悟と態勢がなければならないということだ。
日本人が陥りがちな勘違いは、アメリカの抑止力があるから戦争にならない、戦争にならないのだから戦争の被害を考える必要はない、というものだ。だが、アメリカ軍が考える抑止力とは、戦争になれば必ず勝つ力を持つことを前提としている。抑止と戦争は、日本人が考えるよりもずっと近い関係にある、同じコインの裏表なのだ。そして、そうでなければ抑止も成り立たないというところに、抑止と安全のジレンマがある。

第四に、北朝鮮は、攻撃目標が在日米軍基地であると公言している。在日米軍基地から発進する戦闘機が、北朝鮮を攻撃する最大の脅威であるからだ。すなわち、北朝鮮が日本に向けてミサイルを撃つ動機は、米軍がいるからということになる。抑止力であるはずの米軍の存在が攻撃の動機を与えているところに、抑止と挑発は紙一重というジレンマがある。
第五に、抑止という戦略は、抑止が効いている限り、北朝鮮はあえて攻撃しないという仮定の上に成り立っている。北朝鮮の最大の目標は、体制の生き残りだから、体制の崩壊につながるようなアメリカの報復を招くような攻撃はしないだろうという仮定に「確からしさ」はある。だがそれは、「相手もこちらと同じように考えるはずだ」という仮定である。戦略とは、確かではなく、確からしさの上に作られる計算式にすぎないのだ。
北朝鮮をとことん追い詰めれば、たとえ負けても一撃を食わせるという判断に至るかもしれない。げんに北朝鮮は、そのためにアメリカに届く核ミサイルの保有を、最後の拠り所として目指している。

総じて言えば、抑止戦略は、攻撃を思いとどまらせる効果はあるにしても、やりすぎれば逆効果になる危険性があり、同時に、相手をこちらの思い通りに行動させる(例えば、核を放棄させる)効果はない。アメリカの抑止力がすべてを解決するわけではないのだ。

(4)ミサイル防衛に関する戦術と戦略

ミサイルを落とせないなら先にミサイルをつぶせばいいというのは、戦術の話であり、しかも確からしさのない思考という意味で、戦術論とも言えないかもしれない。一方、どうすればミサイルを撃たせないことができるかというのは、戦略に属する話だ。
言い換えれば、戦術論とは、自分が能力を持っているときにそれをどう使うかということであり、一方、戦略論とは、能力が十分でないことを前提に、それを敵との比較の中でどう補っていくか、敵の弱みを最大化し、こちらの弱みを最小化するか、という思考である。

北朝鮮の弱みとは、体制を守らなければならないという目的そのものにある。あのような古代王朝的な独裁体制を維持すること自体に無理があるということだ。一方、日本の弱みは、戦争の被害に対する耐久性がないことにある。ミサイルを撃ちあうような戦争に耐えられないということだ。「だからアメリカの報復が抑止になる」というのは、敵基地攻撃よりもはるかに戦略的思考である。しかし、それには限界があることもすでに見てきた。
戦略の上に大戦略があるとすれば、ミサイルが飛んでこないようにするという目標を達成するためには、報復の威嚇によって抑止するだけではかえって攻撃の動機を与えるのだから、むしろ攻撃の動機である恐怖を和らげることを併用することがその大戦略に当たる。
これまで我々は、核・ミサイル開発を止めることを交渉の条件としてきた。しかし現状は、止まっていない。北朝鮮は、体制の保証のために核を手放すことができない。体制をつぶそうとすれば、おそらく必ず暴発してくる。核保有をとめられないなら、核を使う動機をなくさなければならない。ミサイル攻撃という悪事への懲罰だけでなく、悪事をしないことのご褒美を用意することだ。
そのために必要なのが、体制を外部からつぶさないという安心供与、あるいは「報償による抑止」といわれる手法である。外部からつぶさなくても、やがて内部崩壊するであろうから、それまでの間、「暴発させない」というところに戦略目標を変えるという意味でもある。

勿論、ここまで来てしまった以上、事は容易ではない。一方、トランプ政権のように、空母を派遣して交渉のテーブルに着かせるという威嚇外交は、成功すればいいが、相手が応じなければアメリカの軍事的威嚇、ひいては抑止力の信ぴょう性を傷つける。
イラク戦争の前年、アメリカは、大量破壊兵器に関する完全な申告と査察をイラクに要求する国連安保理決議を背景に、戦争準備をもって威嚇したが、イラクの譲歩を得るに至らず、ついに戦争に踏み切った。イラクのサダム・フセインの誤算は、大量破壊兵器があるように思わせなければアメリカに攻撃されるという思い込みだった。北朝鮮が、アメリカの空母を目の当たりにして、同じ誤算をしないとは限らないことが心配だ。
確かなものは何もない。だからこそ、我々に必要なものは、やったらやり返す戦術ではなく、核を持った北朝鮮と付き合い、自滅を待つ長期的な戦略的思考なのだ。(了)